最近読んだ本がごった煮になって疑問がいっぱい。

僕は熱心な読書家ではありませんが、本を読んでいて疑問にぶつかることはしょっちゅうあります。
特に多いパターンは前後に読んだ本の視点から別の本を眺めたときにぶつかる疑問です。
いつもは考えても答えが出ないので、放置しやがて忘れるだけですが
書いとけばいつか役に立つかも知れないので自分のためのメモとしてひとつづつ書いていくことにします。


今回の視点の中心

この本では、武家的な倫理を持ち身内な中で完結しようとすることによって安心を保証する「安心社会」と
商人的な倫理を持ち開かれた社会の中で公平な制度によって信頼を確保する「信頼社会」の対比をしています。
この本で著者も触れていますが、元々日本の商人の間では「信頼社会」の要素をもった社会で
武家や農村の「安心社会」とは異なった倫理観をもっていますた。

より詳しくはイザヤ・ベンダサン氏の「にっぽんの商人」にも触れられています。


さて、中世社会と日蓮宗を書いた「戦国仏教」では日蓮宗が商人の間に広まっていく様子が描かれています。

戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)

戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)

しかし、日蓮宗は(あくまで僕のイメージですが)排外的でどちらかといえば「安心社会」を理想とする宗教に思います。
真宗門徒と取引しないでは商売にならないだろうし、そもそも当時は政治より商人にが大陸との関係を繋いでいたはずなので
排外的ではやっていけなかったと思うので、どのようにして日蓮宗が受け入れられたのか、
そのことによって日蓮宗がどのように変質したのかが非常に気になります。
一応、日蓮宗が普及するにあたって妥協することは書かれていますがそれでもまだ腑に落ちない点はあります。